神さまがあなたを愛していることを耳にして 知る ことと、それを心の中で実際に 信じる ことは別です。というか大差が生じます。
昼間に、太陽が私たちの上で輝いていると知ることと、全然温かくなくて、暗い雲しか見えない時に、それでも太陽が輝いていると信じることは別です。
時として、私たちは困難な状況にあるとき、私たちへの神さまの愛をなかなか信じようとしません。でも神さまは、あなたの取引が駄目になる、職がなかなか見つからない、上司がケチばかりつける、子供が家に戻るのを拒んでいる、これらの真っただ中にいるときにこそ、神さまの愛を知って信じて欲しいのです。痛みの真っただ中にいるときにこそ信じて欲しいのです。
人々はあなたに対して怒っているかもしれません。あなたに落胆しているかもしれません。あなたを無視するかもしれません。でも神さまは、決してあなたに対して怒らないし、落胆していないし、神さまの目はいつもあなたに向けられているということを、あなたに知って欲しいのです。又、神さまはあなたの罪を責めません。あなたの罪に対する怒りは全て、十字架において、イエスの上に落ちました。ですから、イエスがあなたの代わりに罰を受け、あなたは決して罰せられないという事を、神さまは、あなたに知って信じて欲しいのです。
どんな悪天候でも太陽の実在は誰も否定しないでしょう。この太陽を造られた神さまの愛は十字架で証明されました。人生どんな悪天候な状況でも、自分に対して注がれている神さまの愛を信じ続けることが大差を導きます。
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:32)