マタイ 1:23 ・・その名はインマヌエルと呼ばれる。」 (訳すと、神は私たちと共におられる、という意味である。)
神さまは、いつも私たちと共にいてくださると約束されます。(ヘブル13:5) でも、私自身、神さまが共にいてくださることを、いつでもどこでも意識しているだろうか?
今日で年内の英語講師の授業が最後です。行く途中バスの中でも、今日で最後なことに嬉しさと、解放感に浸っていました。学校での仕事にストレスを感じているわけではありません。子供たちとも先生方ともそれなり恵まれた環境にあります。
内なる声で、「いつでもどこでも楽しんでいないの?わたしと一緒なら楽しいはずだよねー!」そんな思いがやってきました。
クリスマスの意味。神さまが私たち人間のところにやって来て、共におられること。神であるイエスが人間ベイビーの形としてやって来て、約30年後に十字架にかかり、蘇られた。何のために?
私たちがこの地上での人生をも楽しむことができるためなのです。(ヨハネ10:10)
「盗人(サタン)が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたし(イエス)が来たのは、羊(私たち)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(人生を楽しむためです。)」
イエスが、いつでもどこでも、共にいてくださるのです。その事がわかると、同じ場所で同じことをしていても、モノトーンなものからカラフルなものに変えられます。退屈なものからエキサイティングなものに変わるのです。
あなたが何をしていても、どこにいても、共にいてくださる神さまを見ることから始めたら素晴らしい。たとえば、取締役会で、討議しているときに、神さまがあなたと共に会議室にいてくださり、あなたの考えを導いて下さるのを見て下さい。すると、神の臨在から、明瞭な考えと知恵があなたに流れるのが確信できます。あなたに、素晴しい、確固としたアイディアが満ちあふれるのを見るでしょう。
面接に行くなら、主が面接会場であなたと共にいて下さり、質問の答えをあなたの口において下さるのを見ましょう。神の好意があなたの上にあり、面接者が満足そうにうなずき、微笑むのをみて、あなたにあった緊張は解けていくでしょう。
もし、手術を受けるなら、手術室に主があなたと共にいてくださり、執刀医の手を導いて下さるのを見ましょう。あなたの心配は無くなります。なぜなら、神の御前に何のミスはないからです。
もし、口論の真最中にいるなら、主が、声が聞こえる所に立っておられるのを見て下さい。主がそこにおられ、あなたに恵みを注いでくださるのを見ると、あなたの言葉使いは変わり、あなたの身振りもより穏やかになります。そこに、あなたを愛し、見守って下さる方が共におられることを知ると、あなたの意志力によるものではない、超自然的な自制心があなたにあるのをみるでしょう。
私たちが人生において神の臨在を意識しだすと、心配事や、恐れは、私たちの心に足場を作れません。神さまが私たちの喜びや楽しみを最大にし、私たちが言うことやなすことにおいて、栄えさせて下さるのを見ましょう!
何をしていても、どこにいても、神さまが私たちと共にいてくださるのを見ることで、モノトーンなものがカラフルにエキサイティングになるのです。仕事が終わるのを待ち遠しく感じる必要はないのです。真っただ中にいて、クリスマスに来られた神さまが共にいてくださっているから。喜び、ハピネスのエンジンパワ-が発動!
今から夕食の支度も楽しまなくっちゃ!!!!(笑)
メリークリスマス!