エペソ 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身から出た事ではなく、神からの賜物です。
「神様の約束は真実だとは思うけれど、でもどうしたら、神の約束が私の人生において実現すると確信が持てるのでしょうか?」と、内心思いませんか?よく質問されます。
もし、神の約束が自分の人生において、確かであることを望むなら、自分に頼ってだめです。自分の従順、善良さ、奉仕、信仰などを頼りにすると、私たちは神の約束を受け取ることはできません。
でも、私たちが神の恵み(価値が無く、働きも無く、受けるに値しない者への神の好意)に頼るとき、神の約束は私たちの中で確かなものとなります。
これが長血を患っていた女性も、水の上を歩いたペテロも、バルテマイの盲人も、聖書の中で奇跡を受けた人たち皆に見られる共通点です。「しっかりと信じないと . . . 信仰が十分あると良いんだけど . . . ちゃんと信仰はある . . . 信仰を失わないようにしないと . .」などとぶつぶつ言いながら、イエスに接近しませんでした。
イエスの恵みだけを考えていました。
自分に向けられている、イエスの溢れるばかりの恵みだけに目を向けたのです。
各々がイエスの恵みを見た時、神は彼らの信仰を見たのです! このように、恵みのゆえに、信仰によって、神さまの約束が彼らの人生において確かなものとなったのです。
神さまは、私たちに、イエスの恵みを見て欲しいのです。私たちがイエスの恵みを見る時、神さまは私たちの信仰を見ます。神さまは言われます、「あなたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」 ギリシャ語の「救われる」の語 sozo は、地獄からの救いを意味するだけでなく、癒し、保護、完全(健全さ)も意味します。
ですから、私たちは、恵みによって完全(すべてにおいて欠けるところの無い)にされ、健康に保たれ、保護され、繁栄するのです。恵みのゆえに、信仰によって、神の約束が自分の人生で確かなものとなるのです。
自分の信仰が十分でないと感じても、心配することは全くありません。イエスの恵みがいっぱい詰まった力強いメッセージを耳にすればするほどに、イエスの恵みの啓示が自分のハートにずっしりとすればするほどに、神さまの約束が確かなものになっていきます。だから、イエスの恵みがいっぱい詰まった心に響く力強いメッセージを耳にできる環境に自分を置けばいいだけのことなのです。もがく必要はありません。だからチャーチに行くのです。聖書からイエスの恵みを教えてくれる、イエスの十字架から流れる恵みが鮮明に見えるように導くチャーチに行くのです。
私たちが置かれている状況の中でイエスの恵みに目を向けると、神さまはそれを信仰と見ます。そして、私たちは、必要としていた打ち破りを恵みのゆえに信仰で受け取ります!
そうして、2018年は絶対に最高な年になります。