「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(第1コリント1:18)
キリストの福音を聞くたびに、神さまの「良い(ニュース)知らせ」を聞いているのです。2018に入ってからも悪いニュースがメディアを通して目に耳に入ってきています。「良い知らせ」、キリストの福音は、地獄からの救いだけでなく、私たちが救いを必要としている分野、病気、乏しい財政、害、夫婦関係の崩壊など、すべての分野において、救いを与える神の力そのものだと、聖書は断言しています。 頭で理解するだけではだめです。「良い知らせ」を、心で知り信じるのです。そうすると、それが私たちの生活あらゆる分野に救いを得させる、神の力であることを知るでしょう。 この「良い知らせ」とはなんでしょう? 自分の良い行いによって義とされるのではなく、イエスの血を信じることで義とされるということです。 「良い知らせ」は、私たちに間違いがあるにもかかわらず、イエスの十字架における御業によって、私たちが義となれることです! そこには、神の祝福を得る為に、私たちにできることは何も残されていません。私たちがすべきことは、病を癒し、危険から守り、経済を栄えさせ、家族を健全にする、すべてを網羅しているキリストの福音の救いの力を、ただ、聴いて信じることです。 ある人たちは、この「良い知らせ」は、できすぎたありえない話しだと脇に払いのけるでしょう。でも私たち、キリストにあって神の義である者にとっては、「良い知らせ」は、本当に良い話です。なぜならそれが予想以上に真実だからです!
シンガーポールの知人ですが、彼は多額な借金、ストレスからくる5つくらいの大病を患っていました。その一つが腎臓結石です。レントゲン写真を見ながらドクターは手術をするようにすすめていました。四六時中IPodなどで、「良い知らせ」のメッセージ漬けになっていて、その時までに彼の心と思いの中には「良い知らせ」がずっしりとセメントで固められたように確立されていました。「イエスの打たれた傷によってもう私は癒されています。」と動じません。2回目のレントゲン検査でもはっきり結石は見えました。3回目も結石は写っていました。それでも、彼の心の中には、「良い知らせ」がずっしりと根付いていて、手術に同意しませんでした。4回目のレントゲン検査では、結石はきれいに消えていました。
「良い知らせ」を聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴きまくって信じるとき、それは私たちの状況にも神の力を放つのです。残念なことに、「悪いニュース」を聴いて聴いて聴いて聴きまくっているのです。そしてそれが自分に起こりうると信じて恐れで口で告白しているのです。
「良い知らせ」を聴きまくりませんか!
Jesus loves you so much!