「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とも思い出すことはしない。」(へブル10:17)
気分的に赦されているんでしょうか?神さまが憐れみ深く、罪や不法に目をつぶり見ない見えないふりをしているんでしょうか?
違います。
イエスが私たちの罪を担った時、神の怒りを最大限に、余すところなく、イエスのからだに受けられました。神の全ての怒りと、神判は彼の上に落ち、神の怒りが無くなるまで、罪が焼き尽くされました。
「完了した!」(ヨハネ19:30)とイエスは十字架上で叫ばれました。
今日、神さまは私たち一人ひとりに対して怒っておられません。イエスの体は、私たちの罪、呪い、神の怒り、刑の宣告、全てを吸収しました。ですから、裁きではなく、神の善と祝福を期待して!イエスが「完了した!」ものをさらに完了することはできないです。
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とも思い出すことはしない。」と断言しています。原語は強い否定であらわされています。絶対に決して私の罪と不法は思い出されることはない!なぜなら、イエスのからだに神さまの怒りで燃え焼き尽くされたから。
Jesus loves you so much!