力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)
本音で付き合える人間関係は素晴らしい。家族関係は本音が出て、お互いの弱さや醜さがあらわになります。私の醜さはこの地上で主人が一番よく知ってますね。私も彼の弱さは他の誰よりもしっかり見ています。
イエスと寝食を共にした弟子たちを聖書で見ていくと、弱さが赤裸々に描かれています。ペテロは、何でも最初に口を出してくる。イエスが水の上を歩いている時も、高い山でイエスが光り輝くのを目撃した時も、言うべきことがわからない時ですら、口が開くタイプ。イエスをペテロが堂々といさめる時もあり、自分のイエスに対して忠誠心に自信過剰。イエスが捕らえられた時、彼とは何の関係はないと呪って誓った。
でも、イエスはペテロの醜さ弱さをいっさいとがめていないのです。「3年も一緒にいて、奇跡もみてきて、ペテロ、おまえの税金もわたしが払ったじゃないか。それなのに、おまえはわたしを見捨てるのか。失望した。」なんて態度は一切イエスからうかがわれません。
なぜ?イエスが見ていたのは、ペテロの神さまにある計画を見ていたのです。私たちには、目に見える醜さと弱さしか見えなく、失望と絶望に陥るでしょう。でもペテロがユダヤ人の使徒に造り変えられていくのを、イエスは見ていたのです。彼がペテロをデザインし創造されたから。
イエスの十字架がペテロの醜さを解決するものだから。彼の醜さや失敗を気に留めていないのです。
私たちも、本音で付き合える関係で、弱さや醜さを見るとき、それ以上に彼らの神さまにある計画を見ることができますように。彼らの神さまにある計画が達成される期待感で心が満たされますように。そんな時、相手の弱さは問題でなくなるのです。
心にあるものが、溢れてきます。相手のイエスにある計画を見ることができ、心に満たされていきますように。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)