ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ぶどうの木に流れる同じいのちが、枝である私たちに流れるべきなのです。私たちは何か必死になってもがくことはないのです。イエスの名で単純に受けるのです。
先日、ある人の態度で落胆させられました。率直に心にある事を相手に伝えようと思うものの、トゲがある態度になってしまう自分。良くないのはわかる。トゲを隠すことはできるかもしれないけど、にじみ出てくるでしょう。
そこで、箴言4:23にあるように、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちに泉はこれからわく。」
ホントにその通りです。
自分で自分の心を変えることができないです。この件で、私の心が寛大になれるよう、イエスがその人の事を見ていると同じように見れるように、暫く祈りました。
それから、その当事者と直接話しました。私の心にはその人に対してのトゲはなく、穏やかなだけでなく、笑い合える会話が成立しているのです。
まさに、ぶどうの木であるイエスに繋がっていないと、人間関係においても腐った実を成らせてしまうのです。
自分の必死にもがく行いではなく、イエスの恵みによって、実を結ぶものでありますように。
Jesus loves you so much.