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聖書に出てくる人たちは、私たちと同じように恐れや疑いでいっぱいな人たちも出てくるので、親近感がわきます。
エジプトで過酷な労働を課せられていたイスラエルの民は、助け出され、紅海が真っ二つに分かれた海底を歩いて渡りきることさえもできたのに、神さまが彼らをケアしてくださる約束を信じ切れなかったのです。だから、たったの11日間で歩けるような荒地を40年もさまよい歩くはめになり、祝福に満ちた約束の地に入ることができなかったのです。神さまに信頼するんじゃなくて、不平と不満でダラダラでした。
主の良くしてくださったことを、すっかり忘れてしまうのが私たちではないでしょうか?
だから、今日何かチャレンジに直面するとき、神さまへの信頼で応答するのではなくて、恐れと不安で反応してしまいがちです。
でももし神さまのすばらしさと十分な供給が、私たちの直面している欠乏や無理っぽさの反対側で待機しているのが、わかったら、心の目で見えたら、堂々とした態度でいられるんですよね。
事実イエスはおっしゃいました。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難(チャレンジ)があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
イエスは、「この世に患難(チャレンジ)はないよ。」とは言ってません。でも、それらの患難はすべて主イエスのコントロールにあるから!主イエスの十字架を通しての備えの方が断然に偉大で、たくましくて、圧倒的なものだからって。
聖書の中の誰一人として、イエスによって失望させられる人はいません。そして今後もイエスの十字架に信頼を置く者は決して失望させられません。
「・・・主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」(哀歌3:23)
だから、どんなチャレンジの中にあっても、「大丈夫!」って確信して声を大にして言えるのです。何の根拠もない「大丈夫!」じゃないんです。完璧に完全に大丈夫すぎる方が、私たちの失敗すべてを身に受け、完全な呪いとなられた。それは私たちが、イエスが受けるに相応しい祝福を受け、受けるだけでなく、周りの祝福となるために。
このお方をもっと知っていきませんか!どんどんブレイクスルーを体験していくでしょう。
Jesus loves you so much
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